学生に告ぐ
────私は、学生時代、
承認欲求を満たす為に暴食(た)べてました。
正確には、暴食キャラで笑いや関心を取るために です。
当時は、ギャル曽根さん等が有名でしたね。
現、学生さんにもいると思うので、体験談から1つの情報提供としてお話します。
現在も、学生の間は給食があり、皿の中のものを完食しよう!食べ物は大切に!という意識は教育からでしょうか、強く根付いていると思います。
もちろんお弁当も、それに当てはまると思います。
綺麗に食べ切るとすごい。
余り物のまだ入れ物に入ったままのパンも、
全部食べて空にしたら、給食のおばちゃんも嬉しい。
それに、「それあげる」 「これ食べて?」
は、コミュニケーション。
コミュニケーションを取るのが下手な私には、「食べて」 は嬉しく、言われたら拒否しませんでした。
お腹が苦しくても、嫌いなシシャモでも、必ず制限時間内に食べ切る。
その後は大抵掃除があるのですが、お腹を痛めながら、冷や汗で雑巾がけをしていました。
そして、体重は一気に8キロも増えました。
それでも、キャラを守るのに必死で。
他にもバカキャラ等を演じていましたが、
自分が唯一愛されるその特徴を失くしたら、捨てられる。
と考え、恐怖で、自然と続けていました。
(この歳では、良くない事だと気づきませんでした)
そして、まずそこで自己否定、そして自分を失う事にはなるのですがそれはまた別で。
自分が暴食をすると、
その時だけ皆が自分の所に来てくれた。
頼ってくれた。
ありがとうと笑ってくれた。
ネタにもしてくれた。
ジャイアント小林と、愛称を付けてくれた。
だから、お腹は痛いし気持ち悪いけど、昼食の時間は幸せでした。
自己犠牲で笑いを取るとか、今思うと...
とても悲しいですね( ˊᵕˋ ;)
そうしていたら、学校の昼食だけでなく、
家や外食等、家族やその知り合い、
親戚からも、 その癒しを求める為に…
多少無理してでも食べていました。
想定通り、よく食べるね、と笑ってくれたし、喜んで貰えました。
高校の頃の食事量は、得に半端なかったです。
[大きめのタッパーに白米ギッシリ。
大きめのタッパーに、おかずギッシリ。
別で、朝ごはん用のパン、おにぎり2個等。
それに果物がついてる時もあれば、スープも]
ラーメン、幸楽苑で例えるなら、
[味噌野菜ラーメン大盛×半炒飯餃子セット×鉄鍋炒飯×肉飯×マンゴープリンアイス×メロンクリームソーダ]
こんなの日常茶飯事。
こんなのしてたら太りますよね( 笑 )
満腹なんて、越して当たり前。
日々の暴食の反動なのか、満腹では満足出来ない体になり、お腹の痛みを、苦しみを、感じて、なおも辞めず...。
それを少し越した辺りで満足感が出てくる。
気付けば歩けなくなってる。でもそこまで行かないと食べた気にならない。依存症ですね。
満腹越120%の食事が当たり前。
苦しいのがいい、なんて、完全どえむでした( 笑 )
そして、ここまでは、昔話で。
何がいけないのかは、この中でも話している事もあるのですが、また別にあります。
【後遺症は残る】
です。
学生時代は成長期真っ盛り。
なので、その時に形成された生活や、癖は、大人になってからでは治りづらいです。
治すには、非常な労力や気力や時間を必要とします。
体の内部も同じく、です。
私は高校の頃、自転車で片道50分程掛けて通学していました。
その途中に大きな橋があり、体力のない人だと降りてしまう程、急な坂道でした。
そこで脚にも腕にも無駄に筋肉がつきました。
その上暴食していたので、筋肉と脂肪が、歪な形で蓄えられていきました。
そして、見た目にも影響が出て、今でもその形は変わっていません。
体重は、変化しづらくなりますし、マッサージや運動で変わりづらくなります。
何もしていないのに、常に当時の体重をキープするようになり、これ以上太らず、痩せず...。
太らず、は、一見いい事のように見えますが、
歪な形のままで です。
よく考えてみましょう。
いくら自力で努力しても、中々変わらない。
過酷な毎日になります。
それもひとつの後遺症です。
そしてもう1つは、
食べ方 です。
あの、お腹が痛くなっても食べ続けてしまう
そんな食べ方。
これは、最近やっと気がついたことです。
最近はまともな生活を送れておらず、食生活も不規則なのですが、少し食べたらすぐお腹がいっぱいになります。
でも。満腹感に気づいているのに。癖で。
箸を進めてしまいます。
それが胃袋を大きくする原因であり、本質的な暴食を促進させてしまいます。
お金が無い家は大変ですし、食べても食べても満足出来なければ、気分も落ち込み、体も疲れ、頭も冴えず、生活にも支障をきたします。
血糖値も関係していると思いますので、集中力も低下します。
良くないことだらけですし、無理して胃にものを入れて、苦しくて出そうになると、胃液がこみ上げ、食道が荒れて、そこに何らかの出来物が出来、病気になる可能性も上がります。
なので本当はやめた方がいいし、食べれないのなら次の日に持ち越す事も大切なのです。
「頑張って全部食べなさい。」
には、限度があると思います。
お腹が痛くなったり苦しくなったら、限界のサイン。
本当に食が細く、これ以上減らしたらまずい、と言うなら仕方ない場合もあると思いますが、
作ったものを残すのが失礼とか、悲しいからとか、それでおなかを犠牲にすることはないと思います。
そこは感謝で止めておいた方が賢明です。
食欲は、人の三大欲求の1つ。
食べること、食べて満たされることは、快感です。
ですが、それが行き過ぎて、満たされているのに、満たされたと感じられず、痛みに変り、それが快感になる。というのは、非常によくない、依存、又は、強迫衝動、だと思います。
完全に後遺症、それが原因で止められなくなった、
癖です。
そして、良くない事は他にも。
お腹を満たすために口に物をバンバン放り込む訳で、
好き嫌いがあったりすると、
体内の栄養は偏りまくりなわけです。
その上、食べ物の大切さ も、薄れる場合があります。
何を食べたか忘れてしまう。
とにかく、お腹を満たすことに躍起になってしまう。
衝動的になると周りが見えなくなるようなのと同じです。
そして、食べ物がないと、イライラして、攻撃的になってしまう場合もあります。
承認欲求の為の食事だったものが、その時の食事という行為だけを繰り返し、暴食=快感 になり、
病的になってしまう。
思ってもいない方向に進ん
でいくのです。
そして承認欲求の話ですが、これは、根本的な話、
大人になってから、これは良くないことだと気づき、やめたとして。
承認欲求を満たすため、間違った努力や苦労をし、本来の大切な物を気づかないまま大人になり...自己愛の塊として生きてきた様な人間が、
その承認欲求を満たせるものを失い、野放しになり。
承認欲求の悪魔と化し、狂い咲き、
果たして
しっかりと楽しく、まともな日常を送る事が、出来るのでしょうか。
(ここでのまともとは、一般的に、意識を保って、自分の足で、現実と向き合ってという意味合いです)
新たに承認欲求を満たしてくれるものを手に入れた場合はこの話は無関係かもしれません。
途中で、何かしらで気づき、方向性を変えた場合も同じく。
ですが、全員が全員そうではありません。
承認欲求は、あって当たり前のものですが、行き過ぎると病気になる。
誰にも止められなくなってしまったり、周りが気づかないうちに症状が進行していたり。
そしてある時にプッツリと何かが切れる。
こんな可能性も秘めてるのです。
これも大きな後遺症と言っていいかもしれません。
だからこそ、途中で気づき、どうにかしないとと考えたり、そのままでいいならそのまま進んで失敗したりと、何かしらの判断を自分に下さなければいけないと思うのです。
だからこそここに書いたのです。
何故ダメなのかも書けば、少しは理解しやすくなるのではと思いました。
そこで自分がどうしてそうなったかを書けば、更にわかりやすくなるのではと。
全ては、病的な承認欲求からでした。
その更に元となるものは、きっとその人の周りの環境、満たされない願望、いじめ。色々なものから来ていると思います。
それについてはまた別のサイト等で調べた方が有力な何かが、得られると思います。
とにかく、承認欲求を満たすため。
自分を存在意義を認めてもらうために、自分自身を犠牲にしたり、無理したりすることはしない。
それが大切だと思います。
○○キャラ。
そういうのも同じくです。
あるがままの自分を認めたくなくてもしっかり存在を認める。
それは大切で。
自分の本音、深層心理に、耳を傾けるのは本当に必要です。
これを、どこかの学生さんが見て、何かしら気づいてくれたら、嬉しく思います。
また、学生さんでなくても。
一時の快楽、欲求のためだけにひたむきに走るのではなく
その結果どうなるか、先々のことも是非とも考える時間がここで作れたらな、と。
そう感じました。
もし疑問点などあれば、未熟な私ですが、一緒に考えていこうと思います。
基本的にコミュニケーションや会話は好きじゃないのですが、
こういう話をゆっくりするのは好きですので、ぜひお気軽にお声掛け下さい。
対等な目線で話し合いをしましょう。
ではまた別の機会に。
良い時間を、ありがとう。
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